8月30日から9月2日まで、ティエスから車で2時間ほどのケベメールというところで、
音楽祭のイベントのお手伝いに行ってきました。
イベントの内容はまた改めて書こうと思います。
ケベメールから帰ってきてパソコンを開くと、
家族からメールが来ていました。
「おじいちゃんが天に召されました。」
セネガルに来る前から「私が帰ってくるまで待てるかな?」とい う状態だったおじいちゃん。
もしもの時のことを考えて、セネガルに行く前におじいちゃんに会 いに行きました。
それから数か月。
私はセネガルにやってきました。
2年間、日本には帰らないと心に決めて来ました。
おじいちゃんには「私が帰ってくるまで生きててや~!」と、
2年後また会いにいくことを約束していました。
セネガルでの生活ももうすぐでちょうど1年。
この前のお盆には私以外の家族みんなでおじいちゃんに会いにいっ たそうです。
家族みんなが揃って会いに行けることはあまりないので、
おじいちゃんもうれしかったと思います。
私は長女なのでおじいちゃんとの思い出が1番たくさんある。
おじいちゃんの広い家を走り回ってたら「やいとしたろか!」と怒 るおじいちゃん。
一緒にお風呂に入ったらいつもお湯を40度以上にして真っ赤にな るおじいちゃん。
お酒が大好きなおじいちゃん。
口数は少ないけど子供が大好きなおじいちゃん。
将棋が強いおじいちゃん。
畑仕事をするおじいちゃん。
朝ごはんのパンくずを拾わずにはいられない綺麗好きなおじいちゃ ん。
たまに笑った時の笑顔が可愛いおじいちゃん。
家が遠いので年に1度くらいしか会うことはなかったけど、
こうやって昔を思い出すと、
「私、おじいちゃんのこと好きやったなぁ♪」って思う。
お通夜にもお葬式にも行けなかった。
でも、セネガルに来たこと後悔はしてない。
だから、行けなくてごめんねとは言わない。
2年後また会おうね!って約束は果たせないけど、
日本に帰ったら会いにいこう。
ありがとう。
ありがとう。
残りの1年、セネガルでちゃんと生きるから見守っててね。
音楽祭のイベントのお手伝いに行ってきました。
イベントの内容はまた改めて書こうと思います。
ケベメールから帰ってきてパソコンを開くと、
家族からメールが来ていました。
「おじいちゃんが天に召されました。」
セネガルに来る前から「私が帰ってくるまで待てるかな?」とい
もしもの時のことを考えて、セネガルに行く前におじいちゃんに会
その時は、確かに弱ってはいたけれど、
一緒にお寿司を食べることができたおじいちゃん。
声を出す体力もなく、歩くのも精一杯の状態だったけど、
久々の孫の訪問に喜んでいるのが、表情からわかりました。
それを見て私も「会いに来てよかった♪」と思えました。
一緒にお寿司を食べることができたおじいちゃん。
声を出す体力もなく、歩くのも精一杯の状態だったけど、
久々の孫の訪問に喜んでいるのが、表情からわかりました。
それを見て私も「会いに来てよかった♪」と思えました。
それから数か月。
私はセネガルにやってきました。
2年間、日本には帰らないと心に決めて来ました。
おじいちゃんには「私が帰ってくるまで生きててや~!」と、
2年後また会いにいくことを約束していました。
セネガルでの生活ももうすぐでちょうど1年。
この前のお盆には私以外の家族みんなでおじいちゃんに会いにいっ
家族みんなが揃って会いに行けることはあまりないので、
おじいちゃんもうれしかったと思います。
私は長女なのでおじいちゃんとの思い出が1番たくさんある。
おじいちゃんの広い家を走り回ってたら「やいとしたろか!」と怒
一緒にお風呂に入ったらいつもお湯を40度以上にして真っ赤にな
お酒が大好きなおじいちゃん。
口数は少ないけど子供が大好きなおじいちゃん。
将棋が強いおじいちゃん。
畑仕事をするおじいちゃん。
朝ごはんのパンくずを拾わずにはいられない綺麗好きなおじいちゃ
たまに笑った時の笑顔が可愛いおじいちゃん。
家が遠いので年に1度くらいしか会うことはなかったけど、
こうやって昔を思い出すと、
「私、おじいちゃんのこと好きやったなぁ♪」って思う。
お通夜にもお葬式にも行けなかった。
でも、セネガルに来たこと後悔はしてない。
だから、行けなくてごめんねとは言わない。
2年後また会おうね!って約束は果たせないけど、
日本に帰ったら会いにいこう。
生と死は常に隣り合わせ。
生きている限り死ぬ。
死ぬということは生きていた証。
「死」ってなんだかすごくつらくて悲しいことに思えるけど、
ある人のお葬式に出席したときに
「死も素晴らしいことかもしれない。」と思ったことがある。
その人のお葬式で、奥さんが泣きながら、でも笑顔で
「主人は幸せでした。」
と言っていました。
その時の奥さんの顔は、なんだかいきいきしていました。
奥さんからしたら、大好きな、大切な人が死んでしまったのに、
なんだか幸せそうで、とっても素敵なお葬式でした。
奥さんは本当に旦那さんのことが好きなんだなぁって伝わってきました。
残された人からしたら、つらいことかもしれない。
でも、私は、
残された人にも「素敵な人生だったね。」と言ってもらえるような人生を送りたい。
幸せでいっぱいの人生にしたい。
それで、まわりのみんなと幸せを分かち合いたい。
昔、友達に言われたことがあります。
「koppy★ってなんかいつも楽しそうやんな。
koppy★見てたらなんか落ち込んでたのに、どうでもよくなってきたわ!
ありがとう!」
それを言われたときすごくうれしかった。
私は人を慰めたりするのは得意じゃないから、
自分が楽しそうに、元気に、笑顔でいることで、
人を元気にできるんだったら、
私はどんな時も笑顔で幸せでいよう!
そんな風に思いました。
だから常に心がけていることがあります。
「いつ死んでも後悔しない幸せな人生を送ること。」
こんな風に書いたら、いつ死んでもいいと言っているみたいやけど、
そうじゃなくて、
もし明日・・・いや、今、何か起きて死んでしまうことになっても後悔しないように、
今この時間を、1分1秒を、精一杯幸せに生きよう。
これを人生の私の合言葉にしています。
生きているということは当たり前のことじゃない。
生きている限りいつでも死の可能性を持ってる。
日々感謝。
今、私は、セネガルで生きてる。
素敵なこともあるし、もちろん嫌なこともある。
でも、ぜ~んぶ含めて、
「今、私は幸せです。」
おじいちゃんは幸せだったかな?
うん。きっと幸せだったと思う。
おじいちゃん、大好きやで♥
ごめんねじゃなくて、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
残りの1年、セネガルでちゃんと生きるから見守っててね。
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