今日は5年生2クラスに授業。
水曜日は洗濯とかしたいから2クラスだけにしてるけど、
2クラスだけだと終わってから「あれ?今日はもう終わりか。」って、
体力の余ってる自分に気付くw
1日4クラス授業することに慣れてきたみたい♪
最初のクラスはとにかく元気いっぱい!
しかーし、先生が出て行ってしまった。
いや、このクラスの先生は私の分析によると良い先生(割と私の活動に興味あり)なはず、
先生なしでは授業をしないと決めている私。
さぁどうする?!?!
5分くらい待ってみた。
帰ってこない。。。
どうしよー・・・
と、悩んでいると、
ふと、子供達の姿が目に入った。
目の前の子供たちは、わくわく、キラキラした表情でこっちを見てる。
「始めてよー!」と、子供達。
うん。
子供たちは悪くない。
子供たちに「学びたい!」って気持ちがあれば、
先生のフォローがなくても伝わるはずだ。
もう、昨日までの私じゃない。
先生がいないからなんだ!
授業を始めよう。
子供たちのために。
そして、ひとりで授業スタート。
このクラスは1時間遅れてるから哺乳類と魚類の授業。
正直、先生のフォローがないと教えるのが難しい単元;;
「大事なのは気持ち。」
そう、自分に言い聞かせて、授業を進めていきました。
すると子供達、びっくりするほど私の話しを聞き、
「ここで質問です。」なんて言ったら、必死で耳をすませて質問内容を聞く。
そして、答えてくれる。
うるさい子がいると
「ちょっと!Annaの声が聞こえない!」って私のかわりに怒ってくれる。
教えるのが難しいと思ってた授業が、
驚く程簡単にスムーズに進んでいく。
呼吸・生活場所・体の表面・生殖(卵生か胎生か)・・・
そして、最後が難関の体温。
変温動物か、恒温動物か。
ここの説明が難しい!
ここはいつも先生と一緒に説明する。
うわーひとりでできるかー?!?!
と、その時。
先生が帰ってきたー!!!!
グッドタイミーング!!!!
いや、でも、帰ってきたからってフォローしてくれるとは限らない・・・
とりあえず、説明を続ける。
「さて、体温ですが、私の体温はだいたい37度です。私が寒いところ、たとえば気温5度の場所にいるとき、私の体温は何度でしょう?」
「5度!」
はい、素晴らしい間違いありがとうございますw
「5度?ほんとに?では、私が暑いところ、たとえば気温40度の場所にいるとき、私の体温は何度でしょう?」
「40度!」
「50度!」
笑。
半分くらいの子供は「うそー!」って顔をする。
それで私は40度と答えた子に向かって言う。
「君、暑いところ行ったら体温40度になるの?!それは病気ですねー。ねぇみんな?」
「はーい!」
「私たちの体温が40度とかになるときって、病気のときですよね?と、いうことは、気温5度のところで私の体温は?」
「37度!」
「じゃぁ40度のところでは?」
「37度!」
「そう、私の体温はいつでも37度。病気じゃなかったらね。こういうどこにいても常に体温が変わらない動物を恒温動物といいます。」
すると先生、頼んでなかったけど、私の説明をフォローして、
一緒に説明してくれました!!
うん。やっぱこの先生は割と良い先生だ。きっと何か用事があったんや。
そして魚は変温動物であることを説明して、イルカの宿題を出して授業終わり。
そして先生にお礼を言って帰ろうとしたとき、
先生がじーっと、私の板書した哺乳類と魚類の表を見ました。
そして一言。
「うん。これは大事な内容だ!」
いやーまぁ、あなた、前半教室にいませんでしたからね;;
今日はこういう勉強したんですよ。
と、思いながら「はい。」と答える私。
そして子供達と表を参考に復習を始める先生。
そして最後に子供たちに言ったこと。
「Annaの授業は素晴らしい。こうやって絵を使って授業をするとわかりやすいだろ?これはAnnaが描いたんだろ?すごいなー。私にはできない。だから、Annaの授業からしっかり学ぶんだ。Annaは私にできない授業をしてくれる。私にはこんな絵は描けない。いやー、Annaありがとう。本当にありがとう。」
なんだか、複雑な気持ちになった。
まー前からわかってたんやけどね。
私が素晴らしい教材を作れば作るほど。
セネガル人からしたら「すごーい!」って人ごとになることは。
セネガルではあまり情操教育は重視されていません。
それを今、小学校教諭隊員が、情操教育を広めようと活動を頑張っています。
図工や音楽や体育をあまり経験せずに大人になった先生たち。
だから、多くのセネガル人は、工作するにも不器用で、絵を描くのも苦手。
セネガル人はプライドが高いから、できないことはやりたくない。ていうか、やらない。
私が描いた魚の絵。
子供にも先生にも大好評で、
どこかで会うたびに「魚はどこだ?」って言われる。
たしかに、自分でもびっくりするくらい上手に描けた。
なんでこんなに上手に描けたのか考えてみた。
それは、私は図工や美術の授業を受けて育ったから、
だから、どうやって絵を描いたらいいかを知ってるからだ。
絵を描くとき、まずは鉛筆で下書きをすること。
そして、実際に描いていくときは、まずは形を描く。
そして、最後に色を塗る。
色鉛筆で色を塗る場合、
強く塗れば濃い色になり、
弱く塗れば薄い色になる。
重ねて塗ることで新しい色を作ることができる。
などなど・・・
これらは全部、学校で教わったこと。
当たり前のように描いてたけど、
もし、学校で習ってなかったら、こんなの描けなかったかもしれない。
セネガルでの私の仕事。
理数科授業の質の向上。
でも、そのためには情操教育が必要な気がする。
より質の高い授業をするために、
教材がないから作る。
でも、それを作れる技術を身につけていないと作れない。
日本だったら、
絵が下手ならパソコンで探して印刷すればいい。
英語の先生で、たとえ発音が苦手でも、CDが発音してくれたりする。
歌が下手でピアノが弾けない小学校の先生も、
CDでカバーできる。
先生が言った「私にはできない。」
その言葉から日本の子供達を思い出した。
よく言われた。
「勉強って何のためにするの?しなくても生きていけるやん!使わへんやん!」
私はこう思う。
勉強は「自分の可能性を広げるためにする」もの。
別に掛け算ができなくても、
字が書けなくても、
絵が書けなくても、
英語が話せなくても、
生きていける。
食べるものと、寝る場所があれば、人は生きていける。
でも、
もし掛け算ができたら、
もし字が書けたら、
もし絵が書けたら、
もし英語が話せたら、
できるようになることがたくさんある。
だからやっぱり、
勉強って大事だなって思う。
情操教育、大事だなって思う。
私は理数科隊員だけど、
図工も音楽も体育も大好きだから、
残りの任期、何かできることはないかな?って思った。
この前、私の家の警備員ハッサンに、
Anna新聞をあげました。
算数を教えてって言われたから、
算数の問題載ってるからやってみてって。
数日後、
「算数の問題できた?」と聞くと、
「まだだよ。」
「えー!なんで?難しかった?」
すると返ってきた返事はこうでした。
「とりあえず、フランス語勉強するよ。」
ハッサンは小学校6年生までしか学校に通っていません。
そのあとはずっと働いていました。
だから、自分の名前くらいしかフランス語で書けないし、
もちろん、フランス語も読めない。
小学校で習ったと思うけど、そんなの遠い昔の話。
だからきっと、私の書いた新聞の内容が読めなかったんだと思う。
でも、ハッサンはうれしそうに私の新聞を受け取ってくれて、
うれしそうな顔で「算数教えて。」って言ってきます。
もう40歳を超えたおじさんやけどねw
もし、私が警備員をクビにしたら、
ハッサンは無職になります。
小卒でできる仕事なんて限られています。
年下のセネガル人に雑用を頼まれることもあります。
でも、ハッサンは笑顔で対応します。
ハッサンは優しい人です。
だから、友達がたくさんいます。
1歳の一人息子がいます。
ハッサンはいつも私に
「稼いだお金は全部子供に使うんだ。それで、この子が大きくなったら海外留学とかさせて、海外で仕事をさせてやりたい。」
と夢を語ります。
「自分は?」と聞くと、
「私はいいんだ。子供にはいろいろさせてやりたい。だからちょっとずつお金を貯めようと頑張ってるんだ。でも、私にできる仕事は限られてる。でも、絶対子供にはいろいろやらせてやるんだ!」
ハッサンの、息子に対する思い、息子にかける夢に、なんだか涙が出そうでした。
もし、ハッサンが字が読めたら、
字が書けたら、
絵がうまいとか特技があったら、
中学校に行けてたら・・・
ハッサンができる仕事はもっとあるだろうし、
ハッサンの夢も、
「子供を海外に。ではなく、子供と海外に。」
になってたかもしれない。
知らなかったことを知ったり、
できなかったことができるようになったり、
勉強を通して、いろいろ学び、経験することで、
私たちは将来への可能性を広げてるんだと思う。
だから、やっぱり、
情操教育って必要だなって。
当たり前だと思ってることも、
案外、学校で習ったからできることなのかもしれない。
情操教育がないに等しい環境で育った先生たちに私が理数科教師としてできること。
残りの任期の課題です。
水曜日は洗濯とかしたいから2クラスだけにしてるけど、
2クラスだけだと終わってから「あれ?今日はもう終わりか。」って、
体力の余ってる自分に気付くw
1日4クラス授業することに慣れてきたみたい♪
最初のクラスはとにかく元気いっぱい!
しかーし、先生が出て行ってしまった。
いや、このクラスの先生は私の分析によると良い先生(割と私の活動に興味あり)なはず、
先生なしでは授業をしないと決めている私。
さぁどうする?!?!
5分くらい待ってみた。
帰ってこない。。。
どうしよー・・・
と、悩んでいると、
ふと、子供達の姿が目に入った。
目の前の子供たちは、わくわく、キラキラした表情でこっちを見てる。
「始めてよー!」と、子供達。
うん。
子供たちは悪くない。
子供たちに「学びたい!」って気持ちがあれば、
先生のフォローがなくても伝わるはずだ。
もう、昨日までの私じゃない。
先生がいないからなんだ!
授業を始めよう。
子供たちのために。
そして、ひとりで授業スタート。
このクラスは1時間遅れてるから哺乳類と魚類の授業。
正直、先生のフォローがないと教えるのが難しい単元;;
「大事なのは気持ち。」
そう、自分に言い聞かせて、授業を進めていきました。
すると子供達、びっくりするほど私の話しを聞き、
「ここで質問です。」なんて言ったら、必死で耳をすませて質問内容を聞く。
そして、答えてくれる。
うるさい子がいると
「ちょっと!Annaの声が聞こえない!」って私のかわりに怒ってくれる。
教えるのが難しいと思ってた授業が、
驚く程簡単にスムーズに進んでいく。
呼吸・生活場所・体の表面・生殖(卵生か胎生か)・・・
そして、最後が難関の体温。
変温動物か、恒温動物か。
ここの説明が難しい!
ここはいつも先生と一緒に説明する。
うわーひとりでできるかー?!?!
と、その時。
先生が帰ってきたー!!!!
グッドタイミーング!!!!
いや、でも、帰ってきたからってフォローしてくれるとは限らない・・・
とりあえず、説明を続ける。
「さて、体温ですが、私の体温はだいたい37度です。私が寒いところ、たとえば気温5度の場所にいるとき、私の体温は何度でしょう?」
「5度!」
はい、素晴らしい間違いありがとうございますw
「5度?ほんとに?では、私が暑いところ、たとえば気温40度の場所にいるとき、私の体温は何度でしょう?」
「40度!」
「50度!」
笑。
半分くらいの子供は「うそー!」って顔をする。
それで私は40度と答えた子に向かって言う。
「君、暑いところ行ったら体温40度になるの?!それは病気ですねー。ねぇみんな?」
「はーい!」
「私たちの体温が40度とかになるときって、病気のときですよね?と、いうことは、気温5度のところで私の体温は?」
「37度!」
「じゃぁ40度のところでは?」
「37度!」
「そう、私の体温はいつでも37度。病気じゃなかったらね。こういうどこにいても常に体温が変わらない動物を恒温動物といいます。」
すると先生、頼んでなかったけど、私の説明をフォローして、
一緒に説明してくれました!!
うん。やっぱこの先生は割と良い先生だ。きっと何か用事があったんや。
そして魚は変温動物であることを説明して、イルカの宿題を出して授業終わり。
そして先生にお礼を言って帰ろうとしたとき、
先生がじーっと、私の板書した哺乳類と魚類の表を見ました。
そして一言。
「うん。これは大事な内容だ!」
いやーまぁ、あなた、前半教室にいませんでしたからね;;
今日はこういう勉強したんですよ。
と、思いながら「はい。」と答える私。
そして子供達と表を参考に復習を始める先生。
そして最後に子供たちに言ったこと。
「Annaの授業は素晴らしい。こうやって絵を使って授業をするとわかりやすいだろ?これはAnnaが描いたんだろ?すごいなー。私にはできない。だから、Annaの授業からしっかり学ぶんだ。Annaは私にできない授業をしてくれる。私にはこんな絵は描けない。いやー、Annaありがとう。本当にありがとう。」
なんだか、複雑な気持ちになった。
まー前からわかってたんやけどね。
私が素晴らしい教材を作れば作るほど。
セネガル人からしたら「すごーい!」って人ごとになることは。
セネガルではあまり情操教育は重視されていません。
それを今、小学校教諭隊員が、情操教育を広めようと活動を頑張っています。
図工や音楽や体育をあまり経験せずに大人になった先生たち。
だから、多くのセネガル人は、工作するにも不器用で、絵を描くのも苦手。
セネガル人はプライドが高いから、できないことはやりたくない。ていうか、やらない。
私が描いた魚の絵。
子供にも先生にも大好評で、
どこかで会うたびに「魚はどこだ?」って言われる。
たしかに、自分でもびっくりするくらい上手に描けた。
なんでこんなに上手に描けたのか考えてみた。
それは、私は図工や美術の授業を受けて育ったから、
だから、どうやって絵を描いたらいいかを知ってるからだ。
絵を描くとき、まずは鉛筆で下書きをすること。
そして、実際に描いていくときは、まずは形を描く。
そして、最後に色を塗る。
色鉛筆で色を塗る場合、
強く塗れば濃い色になり、
弱く塗れば薄い色になる。
重ねて塗ることで新しい色を作ることができる。
などなど・・・
これらは全部、学校で教わったこと。
当たり前のように描いてたけど、
もし、学校で習ってなかったら、こんなの描けなかったかもしれない。
セネガルでの私の仕事。
理数科授業の質の向上。
でも、そのためには情操教育が必要な気がする。
より質の高い授業をするために、
教材がないから作る。
でも、それを作れる技術を身につけていないと作れない。
日本だったら、
絵が下手ならパソコンで探して印刷すればいい。
英語の先生で、たとえ発音が苦手でも、CDが発音してくれたりする。
歌が下手でピアノが弾けない小学校の先生も、
CDでカバーできる。
先生が言った「私にはできない。」
その言葉から日本の子供達を思い出した。
よく言われた。
「勉強って何のためにするの?しなくても生きていけるやん!使わへんやん!」
私はこう思う。
勉強は「自分の可能性を広げるためにする」もの。
別に掛け算ができなくても、
字が書けなくても、
絵が書けなくても、
英語が話せなくても、
生きていける。
食べるものと、寝る場所があれば、人は生きていける。
でも、
もし掛け算ができたら、
もし字が書けたら、
もし絵が書けたら、
もし英語が話せたら、
できるようになることがたくさんある。
だからやっぱり、
勉強って大事だなって思う。
情操教育、大事だなって思う。
私は理数科隊員だけど、
図工も音楽も体育も大好きだから、
残りの任期、何かできることはないかな?って思った。
この前、私の家の警備員ハッサンに、
Anna新聞をあげました。
算数を教えてって言われたから、
算数の問題載ってるからやってみてって。
数日後、
「算数の問題できた?」と聞くと、
「まだだよ。」
「えー!なんで?難しかった?」
すると返ってきた返事はこうでした。
「とりあえず、フランス語勉強するよ。」
ハッサンは小学校6年生までしか学校に通っていません。
そのあとはずっと働いていました。
だから、自分の名前くらいしかフランス語で書けないし、
もちろん、フランス語も読めない。
小学校で習ったと思うけど、そんなの遠い昔の話。
だからきっと、私の書いた新聞の内容が読めなかったんだと思う。
でも、ハッサンはうれしそうに私の新聞を受け取ってくれて、
うれしそうな顔で「算数教えて。」って言ってきます。
もう40歳を超えたおじさんやけどねw
もし、私が警備員をクビにしたら、
ハッサンは無職になります。
小卒でできる仕事なんて限られています。
年下のセネガル人に雑用を頼まれることもあります。
でも、ハッサンは笑顔で対応します。
ハッサンは優しい人です。
だから、友達がたくさんいます。
1歳の一人息子がいます。
ハッサンはいつも私に
「稼いだお金は全部子供に使うんだ。それで、この子が大きくなったら海外留学とかさせて、海外で仕事をさせてやりたい。」
と夢を語ります。
「自分は?」と聞くと、
「私はいいんだ。子供にはいろいろさせてやりたい。だからちょっとずつお金を貯めようと頑張ってるんだ。でも、私にできる仕事は限られてる。でも、絶対子供にはいろいろやらせてやるんだ!」
ハッサンの、息子に対する思い、息子にかける夢に、なんだか涙が出そうでした。
もし、ハッサンが字が読めたら、
字が書けたら、
絵がうまいとか特技があったら、
中学校に行けてたら・・・
ハッサンができる仕事はもっとあるだろうし、
ハッサンの夢も、
「子供を海外に。ではなく、子供と海外に。」
になってたかもしれない。
知らなかったことを知ったり、
できなかったことができるようになったり、
勉強を通して、いろいろ学び、経験することで、
私たちは将来への可能性を広げてるんだと思う。
だから、やっぱり、
情操教育って必要だなって。
当たり前だと思ってることも、
案外、学校で習ったからできることなのかもしれない。
情操教育がないに等しい環境で育った先生たちに私が理数科教師としてできること。
残りの任期の課題です。
日本の子たちは生きている意味、存在について悩む、けど、海外の多くの国はそんなこと考える間が無くとにかくよりよい暮らしを夢見ますよね。どっちが幸せか、比べようがないけど。矢野さんが日本で子供を教えるとききっとこういう気持ちが核になるでしょうね。わたしも自信を持って勉強って大事!といえました。教師の本気を子供は敏感にかぎ取ります。良い先生としてがんばってください。今から楽しみ~~~ PS:PCがちっこく私の指が太いので打ち間違いだらけ・・・さっき投稿したのが恥ずかしいよ~~ごめん!
返信削除私が協力隊に参加した理由は「途上国の幸せを感じたいから。」でした。実際、アフリカに来て、みんな幸せそうだなーと日々感じています。先進国にいる人の悩みと途上国にいる人の悩み、ほんとに、どっちが幸せかなんて決められません。どっちも幸せなんです。きっと。それに気づいてるかどうかなんですよね。多分。私、良い先生になれますかね?笑
削除正直、任期を終えて日本に帰ったら、先生をするかどうかはまだ決めていません。あと1年、セネガルで考えようと思っています。でも、先生という仕事は楽しいです。
ふ、ふ、ふ、もうあなたはきっとやめられない、教室での手応えは「麻薬」です.苦労もいっぱいるだろうけどひと味違う教師になるでしょう。目指せ「伝説の教師」!
返信削除伝説の教師か~!かっこいいですね!!目指すのは自由ですから、ちょっと目指してみようかな~♪
削除